3才から取組みをはじめて
その取組みの備忘録を残すために
はじめたブログですが
最近はほとんど残せていません・・・
(淡々と毎日コツコツやれてはいます)
そのくらい二人とも
取組みに関しては私の手を離れ
自分で完結できるようになってきている
という嬉しい話ではあるのですが
本当は少しだけ
寂しい気持ちがあったんだなぁと
最近しみじみ感じています
なぜそう思ったかというと
今週末に受ける漢字検定に向けて
過去問をやっているのですが
その丸つけを今私がやっていて
二人の勉強に少しだけ関われる
というか役に立てることが
正直すごく嬉しくて嬉しくて・・・
子どもたちには
わりと早い段階から
自分で読む(やり方も解答解説も)
自分で考えるということに
慣れてほしかったので
もともと教えたことは
記憶をたどっても数回しかないのですが
昔はもう少し丸つけをして
「すごい!」とか「おしい!」とか
声をかけていた気がします
ただできるところに目を向けるフェーズから
間違えた問題をできるようにするフェーズに
入ってくると正直私の反応なんてものは
時間のロスでしかないと分かり
必要ないところでは
声をひそめるようにしていたら
いつからか取組みに私は
あまり必要なくなっていました・・・
それでも息子は
まだ甘えんぼなところがあるので
基礎英語だけは毎日一緒にやって
叱咤激励していますが
結局
誰かの応援に頼っていたり
私がいるから頑張れるというような
引っ張り方には限界があるので
私にやることがなくなればなくなるほど
(断っている部分もありますが)
正しい道を進んでいるんだろうとも思います
勉強って一定程度進むと
ほめられたり叱られたり
周りの人にどうこう言われる
類のものではなくて
孤独な自分との対話なんだなぁ
と感じることがあります
低学年の頃に
どれだけ「字をきれいに書きなさい」
と言ってもやらなかった娘
漢字検定の丸つけをしていると
いつの間にか読める字(〇になる字)で
書くようになっていました
もう私は半ば諦めて
声をかけるのも忘れてましたが
自分が必要だと思えば変われるもの
という証明をしてくれています
二人が私がいてもいなくても
やるべきことをやれるのは
心強いしそうなって欲しいと
思って育ててきたので
嬉しいことに違いないのですが
やっぱり少しだけ
寂しい気持ちにもなっていたことに
丸つけをしているだけで
すごく嬉しい自分から感じました
今後は
取組みに関して私が手を出す部分は
なくなっていく一方だと思います
多分その他の生活全般に関しても
だんだんとそうなっていくと思います
子育てに親が全振りできる時期は
本当にわずかなんだよ
とよく聞きますが
本当にそうなんだろうなぁ
ただ
取組みに関しては私の出番は
ほぼなくなっていますが
学校での話や相談ごとを聞いたり
まだまだ親として関われる部分は
たくさんあるので
そうゆう時間をこれまで以上に
大切に過ごそうと思います