STUDY TIME

娘(2014年生まれ)息子(2018年生まれ)の日々の家庭学習内容や習い事、生活面でのあれこれと時々私の自己啓発等々家族の成長を見守るブログ

あれから14年・・・

2011年3月11日

東日本大震災の時は

私は神田にあるビルの7階で働いていました

 

定位置に置かれていたコーヒーサーバーが倒れ

コーヒーが床にこぼれ

重たいコピー機の位置がググーッとずれ

初めて感じる揺れの大きさに悲鳴をあげる人も

(私もかも)

 

自席でヘルメットをかぶって

机の下に隠れた後に外に出て様子を見ると

(たくさんの会社の人たちが外にでていました)

道路にはひびが入っている場所もあり

ただならぬ雰囲気

 

その後偉い方々の会議を経て

帰れそうな人は自己責任で帰りましょう

ということになり

帰れるかどうかというより

真っ先に会社を出て今の夫に連絡

(結婚したのは2012年5月なのでこの時は彼氏)

 

もしも何かあるとしても

あなたと一緒しか考えられない

 

くらいあの時は燃え上っている時期で

すぐに連絡をとりあって秋葉原で

待ち合わせました

 

携帯もメールが届くのに時間差があって

タイムリーに連絡をとるのは難しかったので

 

〇時〇分 秋葉原の△△の前で待つ

 

みたいな用件のみ送って

あとはひたすら歩くみたいな。。。

 

駅は

夕方にはシャッターが閉められて

電車は一切動かず

道路は車が溢れかえりほぼ動かず

 

だんだん暗くなっていく道を

夫と6時間以上かけて歩いて家まで到着

 

途中のドン・キホーテで自転車を買おうか

悩んだ時にはすでに全部売り切れていて

また歩きだした後に

ブーツのかかとのゴムがすりへって

歩きやすい靴を買わなかったことに

後悔しながらただただ前に歩を進めた記憶

 

家に帰ってつけたテレビで観た

津波の様子が今でも脳裏にあり

この時期になると胸が苦しくなります

 

その後

都内で教員をしていた義母が

真っ先に宮城県の学校で先生をすることを決め

引っ越しの際一緒に車で

南三陸や気仙沼を通った時の

本当に全てが流されてしまった様子と

 

その数年後にも同じ道を通り

高い堤防ができたり

少しずつ復興に向けて動き出している部分と

あの頃から変わらない部分を見て

 

今ある自分の大切な人やものを

もっと大切にしようと強く感じたのを

覚えています

 

あれから子どもが生まれ

仕事も変わり生活は一変したけれど

 

あの時感じた恐怖や気持ちや

何が起こったのか

今朝は家族で話をしました

 

今生きていることは

当たり前のことではなく

奇跡的なことなんだと

 

あの日あの時は

自分のことが第一に生活でしたが

今また大地震が起きた時には

娘や息子のことで

頭がいっぱいになるだろうから

パニックになる前に

うちでの震災時のルールを再確認しました

 

・避難場所と優先順位

・まずは自分が助かること

(会うのは命あってこそ)

この先も3月11日には

家族で災害時の行動を確認をする日に

しようと思っています